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zoom RSS 菅野礼司著『科学は「自然」をどう語ってきたか』

<<   作成日時 : 2016/11/13 18:17   >>

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●心に留まった言葉
◆古代自然観において、
空虚な空間の存在を認める原子論と、
空虚を認めず物質即空間とする二つの立場があった。
これら二つの自然観は、その後の時代にも形式と内容を変えながら、
二潮流として交互に興隆と衰退を重ねてきた。(中略)
20世紀になると、相対性理論と量子力学を結合したディラック理論は、
真空は単なる空の空間ではなく、
無限の粒子・反粒子対が縮退し空間を埋め尽くした存在であることを
暴いたのである。
こうして一旦エーテルを追放して空間を空にした相対性理論は、
皮肉なことに、真空はそれ自体で複雑な物理的空間であることを
量子力学とともに認識させたわけである。
さらに、一般相対性理論によれば、
物質と時空は独立ではなく密接に関連していて、
互いに他の存在と運動を規定し合う相互規定の関係にある。
現代物理学における相対論的場の量子論では、
「真空」の定義が理論構成の土台として極めて重要な位置を占めていて、
物質の特性を決定する基礎であり、同時に自然の多様性の起源を担っている。
こうして、空間の物質性、
すなわち空間と物質の不可分性、相互浸透性が認識されたのである。
【U「量」と「質」の追究】
(感想)
 真空でも一定の誘電率が存在して誘電分極が起きるということ
―これもよく考えてみれば不思議な現象である。
特に心を止めることなく素通りしてしまった学生時代の己の鈍感さが恨めしい。

◆科学の目的は現象を「いかに」説明するかであって、
「なぜ」を問うものではない、というのが実証主義の立場である。
だが、この「なぜ」を問うことが科学の発展の原動力であった。
【U「量」と「質」の追究】
(感想)
人間は自らの有限性を自覚し、
永遠の彼方に存在するであろう真理を信じて憧憬し、
それに一歩でも近づくことを強く念じる動物であり、
「アーメン」「南無阿弥陀仏」や「なぜ」はその念のエネルギーの言語化なのだ。
人間の「なぜ」から哲学が生まれ、
その哲学から科学が派生したことを考えれば、
「なぜ」を問わない偏狭な実証主義は科学の根本精神に悖るものであり、
真理からの微かな囁きを敏感に聴き取ることができないであろう。

◆ファラデーは独学のために高度の数学を用いた抽象理論は理解できず、
それを用いもしなかったにもかかわらず、
あれだけ素晴らしい業績を揚げえたのは
既成の固定観念に囚われなかったというばかりでなく、
彼は具体的なイメージの描けるモデルを常に造り、
それによって直感的で生き生きした推論を行ったからであろう。
彼の溢れるようなアイデアの源泉はここにあると思う。
【W宗教から自立する科学】
(感想)
抽象概念に具体的なイメージを付加し、直感力を全開にして自由な心で考える
―抽象の迷路から脱出する妙法だと思う。

◆シュレーディンガー方程式をプランク定数hの冪級数に展開し、
各冪を両辺で等しいとおいて関係式を導くことをやる。
(中略)これをWKB近似法というが、この方法が許されるのは、
hを任意パラメータとして連続的に変えても
シュレーディンガー方程式が成り立つ場合である。
しかし、この宇宙ではhの値は決まっているはずである。
それにもかかわらず、それらの方程式が妥当な結果を与えるのである。
【Z科学の普遍性と客観性を支えるもの】
(感想)
ここを読んだとき、数学に薄気味悪さを感じて、微かに背筋が寒くなった。
現代物理学の基礎理論は
この宇宙とは異なる基礎的物理定数を持つ
別の宇宙にも適用できる超宇宙法則であること、
即ちそんな別の宇宙が存在することを、
数学は暗示しているのだろうか…。

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